森の中楽給幸足生活

森の中でのDIY生活を綴っています

たまにはDIYとは関係ない話 親父の思い出2

私の父に関する思い出話

前回の話の続きです。

がんで入院してからその後の話です。

退院後の父の様子

がんの再検査には行かなかった父でしたが、幸い再発することもなくまた以前の様に活発に動いていました。 食欲も全然衰えることなく、とても元気に毎日を過ごしていました。

父は定年退職後、自ら会社を興して80を過ぎても働いていました。 とても仕事熱心な人で、趣味のゴルフ以外では仕事が生きがいのような所がありました。

父が70を過ぎた時に、なぜそれほど仕事に一生懸命になれるのか聞いてみたことがあるのですが、父曰く

「老後が心配だから」との事でした(笑)。

がんで闘病生活を送っている間は、私と母が父の代わりとなって会社を切り盛りしていましたが、父でないと分からないことも多く、お見舞いもかねてよく入院先の父の病室に足を運んでいました。

半年後、退院してからは徐々にペースを取り戻していき、また以前と同じように働いていました。 私も、この時にはすでに岡山の自然の中で暮らし始めていたので、徐々に元の生活に戻っていきました

7年後に再入院

父ががんを再発したのはそれから約7年後でした。 年末の事でしたが、その日は以前から楽しみにしていたゴルフ大会が予定されていました。

しかし、当日の朝。ベットから起き上がろうとしたとき足に力が入らなくなり、そのまま床にはいつくばってしまったそうです。当然、ゴルフどころではありません。

慌てて母と共に以前入院していた病院に行ったらしいのですが、検査をしても原因が分からずに様々な病気が疑われました

悪性リンパ腫の検査もしたらしいですが、それらしき兆候はあるものの断定はできないという状態でした。 そんな状態が2~3か月ほど続いたと思います。

悪性リンパ腫が再発か?

結局、どうも悪性リンパ腫が再発したらしいとの結論に至ったのですが、疑われるというレベルで断定はできないという状態でした。

「前回から7年経った今はいい薬があるんです。」と言う医者の言葉に父も私も安心していたのですが、結局その薬もあまり効果がありませんでした。

今回もまた、以前と同じ抗がん剤を使った治療に切り替わったのですが、前回ほどは辛くなかったようで食欲もあるし活発に動き回っているしで、とてもがん患者には見えませんでした

今回、がんを再発したのを機に会社の方は畳んでしまったので、この時はもう働いてはいませんでした。 会社人間だった父にとっては、結構つらい決断だったのではと思います。

ゴルフも出来なくなっていたので、何か他に趣味(楽しみ)を見つけたらと、母をはじめとした周りの人から言われていたのですが、結局見つけられなかったみたいです。

近所を散歩するぐらいで、あとは家の中で新聞を読んだりTVを見たりして過ごしていたようです。

父、DIYハウスを見に来る

今年(2018年)の春、父が私の建てた家を見たいと言い出したので、車を出して神戸まで迎えに行くことになりました。

あまり負担がかからないようにこまめに休憩をとるようにしていたのですが、そんな必要がなかったくらい岡山に着いた時も元気でした。

私がDIYで建てた家を見て感心していたようでしたが、山の中の暮らしには興味がなかったようで、一通り見ただけですぐに温泉に入りに行くことになりました。

あとで母から聞いた話ですが、父は私の事を結構心配していたらしいです。 好きなことをやっているとはいえ、自分の息子が定職にもつかず結婚もしていないのですから、当然と言えば当然かもしれません。

しかし、私のやっていることを自分の目で見て少しは安心してくれたようでした。

ホテルに一泊した次の日、私はまた車で迎えに行き、周辺の観光地を案内して回りました。 ちょうど桜が見ごろの季節だったので、近所にあった農業公園に行ったのですが、がん患者とは思えないくらい歩き回っていました。

父の容体が急変する

そんな父の容体が急変したのが7月の頭でした。 夕方、作業を終えて一休みしていると母から電話があり、大分衰えてきたのでこちらに来てほしいとの事でした。

それほど衰えているという事は、この時に初めて知りました。 急いで支度をして父のいる病院に駆けつけたのですが、今日明日をも知れないというほどではありませんでした。

しかし、かなり衰えていることは見た目にもすぐにわかり、簡単な会話をするのでも非常に時間が掛かるようになっていました。

病院に入院した時には、まだ会話もちゃんとできたらしいのですが、日に日に衰えてしまい10日ほどで今の状態になってしまったらしいです。

人間が衰える時は、右肩下がりに徐々にではなく階段状に落ちていくらしいです。 つまり、ある日を境に急に衰えてしまう様です。

そういえば、体験塾で一緒だった近藤さん(当時60歳)が、「昨日できたことが今日できない」と言ってよくボヤいていましたね(笑)。

親父との約束

私が小学6年生の時、古くて薄気味悪いホテルに家族で泊まったことがありました。 怖くて眠れなかったので、隣で寝ていた父の布団に手を入れると、私の手を力強く握り返してくれました

あの時の父の大きくてしっかりとした手。その感触が今でも思い出されます。

今、目の前にいる父の手は年老いてすっかりやせ細ってしまい、その手を握ってもあの時の様な逞しさは感じられず、また私の手を握り返してくることもありません。

病院に駆けつけた次の日も、また父の見舞いに行きました。 病院の窓から見える神戸の海を見ながら、父が私にポツリとつぶやきました。

「トレジャリバ・・・ あんまり・・・」

それが父と交わした最後の言葉となりました。

 

2018年7月25日 午後8時30分頃  父 永眠  享年83歳

 

最後まで言えなかったありがとうの言葉。

照れくさくって、きっと今でも面と向かっては言えないだろうけれど、

心配するな親父、俺なら大丈夫」と、胸を張って言うこともまだできないけれど、

それでもこの世知辛い世の中を、少しでも居心地のいい場所に変えられるよう努力してくことは父に約束したいと思う。